読書感想ブログ

感想文をバシバシガシガシ書きます。

【読書感想文】 森達也/A3 下巻 【2012年刊行】

【無関係の話】
 上巻の反省といたしまして、100円ショップで付箋を買ってきた次第でございます。これまでは読み終えた時に記憶に残っていたことを探して感想を書くというスタイルでしたが、それじゃあもう追いつかない。なので「ここだ」と思ったところに付箋を挟み込みました。十枚挟みました。それを全部引用して感想を付け加えて……。

 引用すると膨大になるので、(◯頁)という風にします。それで勘弁してください。

 でも本当に驚愕することばかりが述べられているので、できる限りキーボードを叩きます。

【感想】

・なぜオウムは暴走したのか? ……殺人教義タントラ・ヴァジラヤーナ

 オウム真理教の暴走は、衆院総選挙惨敗ではなく、1988年に起きた事故死を隠蔽したのが始まりだったと著者は述べている。(48頁)

 まずそもそもオウムには、「教団の利益に合致すれば、殺人さえも教団の救済活動として許される場合もある」とする殺人教義と言われた「タントラ・ヴァジラヤーナ」というものがあった。(確かにタントラ・ヴァジラヤーナは、安全で人畜無害な思想ではない。でも連載初期で引用した浄土真宗本願寺派の戦時中の布告が示すように、あるいはキリスト教の歴史における十字軍遠征や異端審問が示すように、あるいは今のイスラム教過激派の自爆テロが示すように、死への不安や恐怖を軽減することが重要な機能である宗教全般に、この危険性は常に内包されている。(中略)つまり人を殺すことへのハードルを下げる。(67頁)

 オウム神仙の会からオウム真理教に改名し、海外にも支部が出来てという団体として絶頂期の1988年、富士山総本部道場で修行に参加していた男性が突然大声を出して暴れたため、一部の信者たちが男性を裸にして浴槽で頭から水をかけ続けたら、死んでしまったという事件があった。しかし教団はこの事故死を警察に通報せず、教団内で遺体を焼いて湖に捨てた。

 なぜそんなことが起きたのかというと、「事故が公になると救済計画が遅れるし、男性のためには一刻も早くポア(魂を高い世界へ転生させること)を教団内でしたほうがよい。水をかけ続けた信者は医師の資格を持っていたので、それを剥奪されるのを回避するため。

 が、それから四ヶ月後、それら一連を目撃していた信者が麻原への不満不信を訴えながら脱会を希望したため、独房に入れられた。脱会を認めれば一連の事件が明るみになると考えた麻原は、幹部信者に説得を命じた。できなければ殺害をしろと。
 そして実際に殺害されるが、実行した幹部信者たちは罪の意識に苛まされる。そんな幹部信者へ麻原は、「多くの人を救うための悪業はやむを得ない」と教える。

 またそこから二ヶ月後、次に麻原は、「例えば、ここに悪業をなしている人がいたとしよう。そうするとこの人は生き続けることによって、どうだ、善行をなすと思うか、悪業をなすと思うか。そして、この人がもし悪業をなし続けるとしたら、このひとの転生はいい転生をすると思うか、悪い転生をすると思うか。だとしたらここで、彼の声明をトランスフォームさせてあげること、それによって彼はいったん苦しみの世界に生まれ変わるかもしれないけど、その苦しみの世界が彼にとってはプラスになるかマイナスになるか。プラスになるよね、当然。これがタントラの教えなんだよ」と教える。(51頁)

 つまり、その時その時のアクシデントを正当化するために教義を変えていた、と。結構行き当たりばったりだったんだなという印象を受けた。
 坂本弁護士一家を惨殺して前述した脱会しようとした信者も殺害しておきながら、「麻原の実家で用意されていたバケツ半分ほどのハマグリを調理させずに海にばらまいた」(158頁と殺生を否定しておきながら寿司屋で貝類を食べる。ウランを採るために買った牧場に雨が降らず、そこにいた羊の餌がなくなって餓死してしまうので殺してしまおうとする信者に麻原が、「羊は悪業を積んでいないんだから殺してやるな」159頁と発言する。それを見た信者が「人間の大量ポアを意図されたグルであっても、悪業を積んでいないものは羊でもポアされないのだ」159頁と感心する。

 意外と一貫しているわけではないのだな、と。だから前述したように、教義がその都度その都度でコロコロ変わっていく。でも尊師が言うから間違いないと信者は思う。変わるごとにつじつま合わせをすることになるが、そこにも疑問を持たない。ポアされるのが怖くて疑問を持たないわけではなく、前述した脱会しようとした信者がポアされた際、麻原が魂を天界へポアしたとの連絡が届き、幹部信者は「よかった」と思うと同時に「うらやましいと思った」と発言している。(49頁)


・なぜオウムは暴走したのか? ……観念崩しマハームドラー

 マハームドラーとは「弟子のいちばん弱い、嫌なことをグルが要求する。親とか子とか恋人とかとの情を切るような苦しいことをさせる。それに耐えられるような修行をるす」ことだと述べている。(131頁)

 これってすごいよね。

 つまりさんざん苦しませて、死ぬ寸前というか極限までもっていって、最後に温かく「よく頑張ったね」って声をかけるんです。するとそれでみんな、「ああ、自分は与えられた試練を超えることができたんだ。グルよ、ありがとうございます!」って思うわけです。 『約束された場所で』村上春樹「増谷始のインタビューから」(136頁)


 タントラ・ヴァジラヤーナで殺人や化学兵器製造といった行為を正当化させ、マハームドラーでそれを修行にしてしまう。殺人であっても、殺す人数が増えれば増えるほど効果を増す。無茶苦茶で荒唐無稽であればあるほど効果を増す。
 ……引用して思ったけれど、これはちょっと勝ち目がないですね。正当化させるから修行になる、修行になるから正当化される。


・なぜオウムは暴走したのか? ……最終解脱者で盲目の尊師麻原彰晃

 麻原とその兄弟は生まれたときから視力が弱く、盲学校へ入れられたエピソードが上巻で語られていた。信者たちの手紙やインタビューでも、ほとんど見えていないという意見で、メモを読むだけでも目に数センチの距離まで近づけないと見えなかったと書かれている。

 地下鉄サリン事件が起きる数日前の話。
 幹部信者が空を飛ぶヘリを見て、麻原に「大変です、今米軍のヘリコプターがサリンを撒きに来ています」と報告する。
 窓を開けて空を見ればその報告が真実かどうかすぐにわかる。ところが麻原は目が見えない。信者に確認させればいい。……しかし麻原は最終解脱者を宣言している。目など見えなくてもすべてを見通しているので、その報告を否定できない。
 麻原が他からの攻撃に過敏になれば、信者たちも過敏になり、こういった過激な報告を麻原に繰り返すようになるが、麻原はそれを確かめるすべがないので否定できない。否定しないからより過激になる。(180頁と181頁)

 テレビも新聞もないので、麻原が外界の情報を得るのはもっぱら信者たちの報告になる。週刊誌でも「創価学会批判」のようなものが選ばれて報告される。麻原はその情報を利用し、また選択された本当かわからないものが報告される。
 信者の思い込みだろうが忖度だろうが嘘だと分かっていてだろうが関係なく報告され、どれもこれも否定されない。(229~232頁)

 この最終解脱者という設定が足かせになっている。でもそうだよなあ、「私は目が見えないんで、ちょっとヘリ確かめてきてよ」なんて言えるわけがないよな。空中浮遊ができて信者にエネルギーを注入できて、絶大な支持を受けるすべてを超越した尊師なんだから、たとえ目が見えなくても心で見ているにきまっている、と。


・なぜオウムは地下鉄サリン事件を起こしたのか?

 麻原の主治医であった中川との面会。「例えば94年くらいに、信徒さんから「最近の尊師はどうしちゃったんだ」と言われたことがあります。説法の際に以前のような宗教の話をほとんどしなくなった。オウムは攻撃されるとかそんな話ばっかりだって」
(中略)
「87年にオウム真理教と改称し、89年の夏には衆院選に出ることを決定し、11月に坂本さんの事件を起こします。私が関わるようになったのはこの頃です。90年始めの衆院選で大敗した頃には、世界中にボツリヌス毒素を散布すると言っていました。でも失敗します。次に93年に、亀戸道場から炭疽菌を撒こうとします。これも失敗します。これはどう考えても、規模としては東京都内です。94年には松本の市街地で、松本サリン事件を起こします。そして95年春の地下鉄サリン事件になるわけですが、これは電車に乗っている人が対象です」
(中略)
「気がつきました? 時系列で見ると、麻原氏の発想はどんどん縮小しているんです」
287頁と289頁

 検察が主張する、麻原の妄想が徐々にエスカレートしていったのは間違いで、麻原や信者が抱く妄想に実現の度合いを合わせていったと。

 上祐は、「(中略)より過激なことを提案するほうが修行になるかのような雰囲気がありました。麻原と側近たちとの相互作用に寄って、事件がエスカレートしたことは確かです」


【まとめ】

 自分の感想や意見をたくさん考えていたのに、引用ばかりになってしまった。
 結局なにが言いたいか。最初から危険思想があったわけじゃなくて、教団が巨大になるにつれて敵が現れ、その敵を排除するために教義を変え、その敵を排除しやすいようにマハームドラーを行い、目が見えない上にメディアがない教団内部で側近や幹部信者が忖度した情報だけを麻原に流して危機意識を強め、危険思想に至ったと。

 つまり僕がなにを言いたいかというと、「異常者たちが起こした異常な事件である、全員死刑で終了」で終わらせず、もっとちゃんと考えるべきだと思う。ドイツでのホロコーストだって日本の大東亜戦争だって後に考えて考えて議論して議論して、ものすごく噛み砕いて長い間かけて原因と二度と起こらないためにどうするかを見出していったわけで、まあそれと同等にするには規模が違う話だとはいえ、「なぜ」が解明されないままその集団のトップが絞首刑になるのはどうかなと。
 あ、そうそう、対策がとれないっていうね。

 だからといって別に、麻原彰晃をはじめとするオウム真理教の信者たちが「そんなことする人たちじゃなかった、優しい人達だった」なんてことを思うほど僕は脳内お花畑ではない。
 ないが、同じようなことが絶対に起きないとは言い切れないわけで、だから「オウム=悪=死刑、終わり」で済ませる話ではないのでは、と思う。

 最後に。
 地下鉄サリン事件のすべてが明かされずに終了することについて森達也氏は「自分が街中で突然刺されて、加害者は逮捕され裁判を受ける。が、なぜ刺したかが判明しないまま罪状を言い渡され裁判が終わる。街を歩くのが怖くならないか? それと同じことなのだ」(要約)と言っています。


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