読書感想ブログ

感想文をバシバシガシガシ書きます。

【読書感想文】 佐伯一麦/ショート・サーキット 【2005年刊行】

【概要】
 私小説佐伯一麦氏の初期作品集。

 年代別に並べると、木を接ぐ海燕1984年11月号掲載、端午海燕1988年2月号掲載、ショート・サーキット海燕1990年4月号掲載、古河海燕1991年9月号掲載、木の一族が新潮1994年1月号掲載。
 著者から読者へにあるとおり、木を接ぐから木の一族まで十年かけて家族の成り立ちから解体まで描かれている。


【感想】
 佐伯一麦氏の本を読むのは、ア・ルース・ボーイに続いて二作目。ア・ルース・ボーイの感想にも書いたと思うが、本当にもうただただ胸を締め付けられる。若くして父親になった主人公は家族を養うために昏倒するまで肉体労働を続ける。とにかくもう頑張っている。しかし、働けば働くほど、妻との関係は軋んでゆく。淡々と淡々と淡々と淡々と、主人公は言いたいことも言えず、我慢して我慢して我慢している。
 妻が嫌うからと、昔から集めてきたクラシックの音楽も聴けない。

 木を接ぐでは、三度堕胎した過去を持つ女が妊娠したわけだが、それが主人公の子どもなのか定かではない。が、主人公も主人公で過去の女に未練があり何度か逢っていたので、そこを強く言えない。女は「あなたの子じゃなかったら、誰の子だっていうのよ」と言うが、女と同棲を始めた当初は肉体関係は持っていなかった。主人公の中で思いが渦巻く。どうしようもなさが本当に切ない。

 端午では、……いや、もうやめよう。そういう風に一つ一つ粗筋を書いてその後に感想を書くなんて、この作品集に対して失礼だ。もう、思っていることを書けばいい。

 もう、駄目だわ。もう本当にきつい。なぜそこまできつく感じるのか、読みながら考えてみた。そして二つの理由がぼんやりと浮かび、確信に変わった。

 僕の両親は、二十歳で結婚して同じ年に僕を産んだ。この作品集の夫婦は二十二歳で子を作ったので、それよりも二歳若い。結婚式を挙げる金もなく、山に囲まれた父方の祖母の家の二階に住まわせてもらっていた。嫁姑問題があり、すぐに六畳と四畳半のキッチンという狭さの県営住宅に移り住み、最終的に母方の祖母が持っていた一軒家を譲り受けた。この作品集の夫婦と同じく、兎にも角にも金がなかった。父親は二輪のレーサーをしながら事務の仕事をしていたが、僕が生まれたためより給料のいい肉体労働へ職を変えた。「うちがスポンサーになるから、プロのレーサーにならないか?」と言われたことがあったらしいが、僕と生まれたばかりの妹がいたので断ったそうだ。僕の一番古い記憶は、三重県にある鈴鹿サーキットで父が運転する二輪の前に乗せてもらい走っていたこと。
 この作品集の夫婦とは違い、一軒家はただで譲り受けたので金はかからなかった。僕が高校の頃に、「父はちゃんと家賃なりなんなり毎月支払うと祖父母に何度も訴えたが、そのたびに断られた」と母に聞かされた。そして米やら野菜やら僕たちへのお菓子やらは父方の祖母の畑で取れたものや祖母が買ったものを貰っていた。小学生の頃の僕が本を買う小遣いも祖母から貰っていた。田舎なので車を持たないと生活していけないので五人乗りの軽ワゴンをローンで買ったが、それを事故で潰してしまい、新しく車を買う金がないので、父の弟である叔父から五人乗りの乗用車を譲り受けた。その車で高速を飛ばし、大阪に住む祖母や従兄弟に会いに行った。その頃には兄弟が四人に増えていたが、一番下の弟は助手席に座った母親が抱いていた。

 ざっと書いたが、なにが言いたいかというと、僕の両親も、この作品集の夫婦と同じような状態だったのではないか、と考えた。だから余計に胸を締め付けられた。この作品集の中で、子どもができたらもうセックスはしない、寝る部屋も別で、父親はただ家に金を入れるだけの存在になっていた。家族を養うために働いているのに、家族サービスする時間もない。「長女の病気の療養のために田舎に転居したい」と嫁が言う。「東京に仕事がある」と夫は言うが、「東京ででアパート借りて、土日に田舎に帰ってくればいいじゃない」と言う。そんな夫婦なんてあるかよと夫は思うが、口には出せない。

 僕の父親と同じ状態だった。十八で僕が家を出てから、残業続きの親父は家族サービスができず、兄弟はどこへも連れて行って貰えない。母や兄弟の不満が爆発する。家に親父の居場所はなくなっていた。母や兄弟は、父のことを「あのおっさん」と呼んでいた。でも、これを読んでわかった気がする。この作品集の主人公のように、家族のために一生懸命頑張っていたのだ。そして、ただ無心になって仕事に打ち込むことで、現実から目をそらせたかったのかもしれない。


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