【読書感想文】 村上春樹/カンガルー日和 【1986年刊行】
村上春樹氏の掌編集。どうでもいい話だが、文庫本の刊行年が僕の生まれた歳だった。七十九刷だって。
不思議でおかしくて笑えて切なくて意味がわからなくて……。いつもの村上春樹節が詰まりに詰まった掌編が十七編。プラス短編が一編。
深く考えちゃいけないね。明確な落ちとか相変わらずないので、そこに漂う空気や雰囲気を感じつつ読むのがいいと思う。掌編集だからといって、星新一氏みたいなのを思い浮かべちゃいけないね。それを期待して読むと、下手すると怒り狂って文庫本を壁に思いっきり投げつけてしまうかもしれない。
それで思い出したが、僕が結構ファンでいろいろ読んでいた某エンタメ作家氏の某作は、あまりのつまらなさに腹が立って壁に走ったゴキブリめがけて投げつけてそのまま捨てた。
本当に、意味不明だからね。全然理解できない。だから解説もできないし感想もほとんど言えやしない。でも、腹の立つ意味不明さではなく、とても気持ちのいい意味不明さ。心地のよい文章と不思議な話に浸って、のんびりのんびり、一日一遍読む感じで、楽しんでください。
【読書感想文】 高橋源一郎/丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2 【2016年刊行】
ぼくらの民主主義なんだぜの続編。とはいうものの、朝日新聞の連載は十二本だけで、残りは著者が様々な場所で書いてきた政治評論。こちらがメイン。
こういう内容の本の感想を書くのは難しい。僕は高橋源一郎氏の信者なので、どうしてもほとんどを肯定的に読んでしまう。なので偏ってしまう。
一つだけ述べるとするなら、第二章の安倍さん(とその友だち)のことばに書いてあること。短くまとめてみよう。
安倍さんやその周りの百田尚樹さんは、「戦後から続く自虐史観は日本の子どもたちから自信と誇りを奪っている。自分たちは南京大虐殺やその他諸々、他国に酷いことをしてきた人たちの血を受け継いでいる、恥ずべき血だと教育する。そういうことをしていて日本がよくなるのかね」と言っているが、小学生が真面目に教師の言うことや授業を聞いているわけがない。早く帰ってゲームがしたい、アニメを観たい、そう思っているだけだ。実際にアンケートを取ってみても、小学生の頃の授業内容を覚えている人は、全体の五パーセントしかなかった。授業でそう教えたからといって、絶対にそういう子どもになると断言するのは、子どもたちに失礼だ。
そして、安倍さんがや百田尚樹さんにとって自虐史観は政治のアイテムになっているので、その意見を推し進めている。自虐史観が必要なのはこの二人だ
なるほどなと思った。確かに、僕自身子供の頃の授業内容なんてほぼほぼ覚えていない。
著者が生まれる前に大戦争で亡くなった叔父の最後の場所フィリピンへ行き手を合わせる話は悲しくなった。他国で亡くなって発見もされずその国で眠っている人たちの魂はどこにあるのだろう?
オバマ元大統領の広島でのスピーチの話もなるほどと思った。
オバマ大統領は長いスピーチの中、私という言葉は二回しか使っていない。その他はすべて私たちだ。私たちという言葉には、日本人もアメリカ人もイギリス人も北朝鮮人も入っている。私がとすると、イコールアメリカになるので、アメリカが広島と長崎に大量殺戮兵器の原爆を落とした、とアメリカの非を認めてしまうことになる。だから私たちという言葉を使った。
だから美しく感動するスピーチになっている、と。
ボリュームたっぷりでとても面白かった。
【読書感想文】 野村進・調べる技術・書く技術 【2008年刊行】
四半世紀ノンフィクションに携わっていた氏が、ノンフィクション作家志望者へ向けて書いた技術書。
ここまで書くのか、と驚くぐらい手取り足取り一から十まで書かれている。目次を見るとその内容の濃さがわかってもらえると思うので、引用する。
・第一章 テーマを決める
・第二章 資料を集める
・第三章 人に会う
・第四章 話を聞く
・第五章 原稿を書く
・第六章 人物を書く
・第七章 事件を書く
・第八章 体験を書く
根本的なテーマを決めることから、資料の整理のやり方、取材依頼の手紙の書き方、取材時の道具と使い方……。具体的に書かれている。
この本自体もノンフィクションだ。氏は第八章で、「筆者が前へ前へ出てくるようなものは基本的に駄目」と書かれている。この調べる技術・書く技術でもそれは守られており、どこぞの誰かのような、上から目線で自分のすごさをアピールするような文章にはなっていない。
第六章までは基本中の基本を教え、第七章以降は氏のこれまで書いたノンフィクションをそのまま載せ、自分はどのようにしてこの文章を書いたかを細かく説明している。
僕のようにこれまでほとんどノンフィクションを読んだことがない人が読むと、ノンフィクションの作られ方やノンフィクションの楽しみ方がわかり、いろいろと読んでみたいと思わせる。そしてノンフィクションを書いてみたいと思っている人が読むと、氏が四半世紀かけて積み上げてきた技術を得ることができる。
つまりこの本は、誰が読んでも楽しめるものとなっている。
本当に素晴らしい本に出会えた。
【読書感想文】 中村文則/土の中の子供 【2008年刊行】
二〇〇五年に芥川龍之介賞を受賞した表題作と、短編である蜘蛛の声の二作品が収録された一冊。
芥川龍之介賞受賞が納得できるものであり、中村文則氏の小説として期待を裏切らない作品だった。文庫本自体は薄いが中身はとても濃いものだった。
とは言うものの、どういう感想文を書けばいいのかがわからない。
あらすじとしては、幼少期に凄惨な虐待を受けた経験のある私は虐待のせいで破滅的な生き方を求めるようになっていた。恐怖を受け続けたせいで恐怖を求めるようになっていた。……というまとめ方になるかな。
言葉では表すことのできないなにかが小説の中から滲み出ていて、それをがしがしと感じられれば記憶に残る一作となるだろう。
しかし、「だからなんやねん」と思ってしまうとまったく面白みがわからない一作となるだろう。
これはまさしく僕or私or俺のことが書かれている! と興奮できるかどうか。まあでも文学ってそういうものだよね。そこには明確な答えが書いてない場合が多く、自分なりの答えを導くようにして読むわけで。
中村文則氏の小説はこれで三作品読んだわけだが、これからも読み続けようと思った。
中村文則氏の小説にはそれだけの力がある。一生懸命文章を組み立ててこちら側になにかを伝えようとし続けている。中村文則氏の小説を追い続けよう。
短い感想文になったが、これ以上述べることがないだけで、感想文が長いからどうこう、短いからどうこうという話ではない。
様々な人に勧めたいと思わせる、大きな力をもった傑作。
【読書感想文】 高橋源一郎/ぼくらの民主主義なんだぜ 【2015年刊行】
高橋源一郎氏が朝日新聞で月に一度連載している論壇時評の四年分をまとめた一冊。
新書は今までほとんど読んだことがなかったので、読んでどういう感想が出てくるかと期待した。
はっきり言うと僕は高橋源一郎氏の小説や書評、エッセイは大好きだが、政治関連の話は嫌いだった。
というより、政治の話が嫌いだった。
僕は政治も国もどうでもいいと思っていた。勝手に誰かがやって、勝手に盛り上げて、勝手に壊せばいい。日本にも興味がないし海外にも興味がない。だから旅行も嫌いで、修学旅行以来一度もしていない。
選挙権を得て十年になるが、選挙に行ったのは一度きり。それも母の周りにうごめく宗教臭のする流れで、半ば強制的にそこへ投票させられた。
「そんな、信者を集めて選挙するって、政教分離に反するんじゃないの? これがOKなら意味ないじゃん」と思い、それから一度も行っていない。
だから、どうでもいいというよりも、どうしようもないと思っていたし、今でもそう思っている。
高橋源一郎氏も、反原発反戦争云々カンヌン……。どうでもいいわ、と。
【感想】
序盤にいきなりがつんとやられた。
「息子の入学式に行ったが、国旗掲揚や国歌斉唱が当たり前なのに「?」と思った」と書いてあった。僕はそれを読んで、「日本人なら日本の国旗や国家に誇りを持つのが当たり前でしょう!」と思った。「ふざけんなよ」と思った。
そう思いながら読んでいた。
基本的に、源一郎氏が読み、聴き、感じたものから抜き出して一つにまとめているものが四十八回ある。当然短い中にすべてを抜き出すことは不可能なので、その都度URLや雑誌、本などを注釈にまとめている。
「当たり前のことは当たり前だろ」と思いながら読んでいたのに、「なぜ当たり前だと思っていたんだろう?」と考えが変わっていくのを感じた。
簡単に言えば、僕の中で固まりきっていた常識が覆されていった。
そう感じてから、頁をめくる手が止まらなくなった。
とはいっても、すべての意見に賛成というわけではなく、一回ごとに、「なるほど、確かに」と思うこともあれば、「それは違うかな」と思うこともあった。
読み終えた後に考えることがたくさんあるなと思った。そして、政治や国に興味を持った。かなりわずかな興味ではあるが、完全にゼロだった読む前と比べれば進歩したと思える。
【最後に】
高橋源一郎氏は反日やら売国奴やら様々なことを言われているが、これを読めば、源一郎氏がいかに愛国心を持って問題提議をしているかがわかる。
考え方の違う人を批判することも、あざ笑うことも、晒すこともしていない。ただ穏やかな文体でさりげなく問題定義をしている。